大学受験に失敗した”ただの大学生”が、どん底を3回経験して月商3,000万の会社を作るまで

はじめまして、ガリンです🦁

X では、アフィリエイトのことを発信しています。

最初に、今の🦁をざっくり書くとこんな感じ↓

  • アフィリエイト歴6年
  • アフィリエイトで月商3,000〜4,000万円
  • 累計売上5億円以上
  • フランチャイズの代理店は10社超。これまで一緒に取り組んだ代理店は100%が収益化
  • 20代中盤、東京在住

こう書くと、最初からうまくいった人に見えるかもしれません。

でも実際は、どん底を3回経験しています…
受験に失敗して、バイトで体を壊しかけて、稼げるようになったら調子に乗って全部失いかけた。

この記事では、そんな🦁の話を、カッコ悪いところも含めて全部書いていきます。

続く↓

1. 「いい大学に入れなかったら、人生終わるからね」

同級生10人の街で

🦁が育ったのは、小学校の同級生が10人しかいないような田舎。

農業が盛んな地域で、集落の7割くらいの家が農家だった。
🦁の家も、じいちゃんの代までは農業をしてた。
でも父親は会社勤め。友達の家は、農家や自営業がほとんどだった。

「うちは、他の家とちょっと違うのかもしれない」

子どもながらに、そう感じていた。

農家の家には土地がある。だから、家を継ぐという道がある。
でも、🦁の家には継ぐ土地がなかった。

はっきり言葉にしたことはないけど、
「自分で勉強して、道を切り開いていくしかない」
どこかでそう思ってた気がする。

母親にも、小学生のころから「勉強は大事だからね」とよく言われてた。

「周りの期待に応えるのが、めんどくさい」

そのおかげか、勉強はわりとできるほうだった。

子ども同士にも「キャラ」ってある。
🦁は少しだけ成績が良かったから、クラスのリーダーを任されることもあった。

でも本当の🦁は、人とコミュニケーションを取るのがあまり好きじゃなかった。

周りが期待する🦁と、本当の🦁。
そのギャップに、正直、
「大人の期待に応えるの、めんどくさいな」
と思うこともあった。

じゃあ何がしたいのかと聞かれても、わからない。
だから、とりあえず目の前の勉強を頑張ってた。

小学校も中学校も、ずっとそんな感じだった。

16歳、空港で見た「東京2020」

高校に上がっても、部活と勉強の毎日は変わらなかった。

転機は、高校2年の夏。
東京の大学のオープンキャンパスに行った。

ちょうどその夏、映画『君の名は。』が大ヒットしてた。
田舎で育った女子高生と、東京に住む男子高校生の物語。

🦁も田舎育ちで、
「こんなところ、早く出ていきたい」
と思うことがあったから、すごく共感したし、東京への憧れがどんどん強くなった。

行きの飛行機では、たぶん100枚くらい写真を撮った。

数年後に東京オリンピックを控えてて、空港のボーディングブリッジには「東京2020」の文字。

それを見て、16歳の🦁は思った。

”若い時間を東京で過ごせば、これからの人生を変えられるかもしれない。”

これが、🦁の原体験。

人生で最初の挫折

とはいえ、オープンキャンパスから帰っても、すぐに何かが変わるわけじゃない。
田舎に戻って、また部活と勉強を頑張った。

何をすればいいのかはわからない。
だから「いい大学に入って、いい会社に就職するしかない」と考えてた。

母親からも、こう言われてた。

「いい大学に入れなかったら、人生終わるからね」

高3の夏に部活を引退してからは、平日6時間、休日は10時間くらい勉強した。

そして、大学受験。

第一志望には、落ちた。

それまで、検定も試験も落ちたことがなかった。
当然受かるつもりでいたから、結果を見たときは何も考えられなかった。
目の前が真っ暗になる、っていうのはこういうことかと思った。

人生で最初の挫折だった。

もともとは「第一志望に落ちたら浪人する」と決めてた。
でも、
「1年早く東京に出られれば、その1年はアドバンテージになるかもしれない」
とも思った。

たまたま、「どうせ行かないだろう」と滑り止めで受けてた大学が、関東の大学だった。

こうして🦁は、行きたくなかった大学に進むことになった。

2. 生きている世界が違う

桜の下の入学式

こうして🦁は、行きたくなかった大学に入学した。

ただ、浪人せずに1年早く「大学生」という自由な身分になれたのは事実。
”この1年のアドバンテージを、絶対に生かさなきゃいけない”
そう思ってた。

でも正直、入学式はつらかった。

親戚からは「大学入学おめでとう」と連絡が来る。
上級生は優しい笑顔でサークルの勧誘をしてくる。
周りのみんなは楽しそうで、桜もきれいに咲いてる。

今の🦁が抱えてるどん底や暗闇とは、正反対のものばかりが目に飛び込んできた。
少し、胸がキュッとなった。

そして、周りを見渡して思った。

「このまま4年間、こいつらと同じ生活をしてたら、俺はダメになる。俺の人生は終わる」

本気で焦ってた。

遊ぶにも、金が必要

でも、18歳がそんなに簡単に人生を変えられるわけもない。
結局🦁も、サークルとSNS漬けの、ゆるい大学生になっていった。

ただ、この時期に1つだけ気づいたことがある。

”遊ぶにも、金が必要。”

周りは家が裕福な友達が多くて、「みんなでディズニー行こうぜ」みたいなノリがしょっちゅうあった。

でも🦁は、奨学金をもらって、家賃は母親に出してもらって生活してる身。

ディズニーって高い。
自販機のジュース1本で250円とか300円とかする。

だから、いつも🦁だけ、財布の中身を気にしながらついていってた。

かといって、若い時間を時給1,000円や1,500円で売ることにも納得できなくて、バイトにも身が入らなかった。

1メートル先の、生きている世界が違う人たち

大学1年の夏。
アイドルの握手会で、ファンとアイドルを引き離す「はがし」のバイトをした。時給1,200円。

アイドルたちは、キラキラした衣装を着て、ファンからの愛情を一身に受けて、すごく輝いてた。

一方の🦁は、チノパンに白のワイシャツ。

1メートル先でキラキラしてるのは、自分と同い年くらい、なんなら🦁より年下の女の子たち。
こっちは時給1,200円で、その子たちとファンを引き離してる。

”生きている世界が違う。”

これは、正直かなりこたえた。
あのときの絶望感は、今でも忘れない。

東京のすぐ近くまで来たのに、1年経っても、何も変わってなかった。

有名になれば、何か変わるかもしれない

大学1年の終わりごろ。
先輩の紹介で、モデルの仕事を始めた。

当時の🦁は、
「人生を変えるには、有名になるくらいしかない」
と思ってた。だから、芸能の仕事もありなんじゃないかと思って飛び込んだ。

最初はモデルから。だんだん役者の仕事もするようになった。

自分のSNSを作って、写真をたくさん投稿して、撮影に行って、ライブ配信もして。
モデルの仕事では、何度か賞をもらったこともある。
役者としては、地上波のドラマに出たこともあった。

少しだけ、自信が持てる瞬間もあった。

でも、心のどこかでは感じてた。

「今やってることは、大学生だから、若いから許されてるだけ」
「これで飯を食っていくのは厳しい」

そう思うことが次第に増えていった。

オーディション帰りの電車で

転機は、オーディションの帰りの電車だった。

ツイッターに、ある有名女優とIT社長の熱愛のニュースが流れてきた。

それを見て、冷静に思ってしまった。

「有名になる以外にも、お金を稼ぐことで、人生は変えられるのかもしれない」

稲妻に打たれたような瞬間だった。

ここから🦁は、お金を稼ぐことを考えるようになる。

3. 29日連続の夜勤で、月45万

バイトを入れまくった冬

大学2年の冬。
芸能の仕事をいったん止めて、お金を稼ぐことに全振りした。

とはいえ、稼ぎ方なんてわからない。
だからまずは、バイトを入れまくった。

パン工場の夜勤、コンビニの早朝、塾講師を複数。
それらを掛け持ちした。

パン工場の夜勤

パン工場の夜勤は、とにかくきつかった。

ちょうどクリスマスシーズン。
チョコレートケーキに、ひたすらチョコの粉を振りかけ続ける作業を8時間。
肉まんやあんまんの生地を、機械に詰め続ける作業を8時間。

特に肉まんの生地はめちゃくちゃ重くて、体がバキバキになった。

それでも続けてたのは、夜勤はそれなりに時給が良かったから。
周りには、🦁と同じようにクリスマスだけ短期で入ってる大学生や、年配の人もたくさんいた。

ある日、40代、50代の社員さんたちの顔が目に入った。

帽子の下から、わずかに見える目と表情。
すごく疲れて、暗く見えた。

「🦁もこの環境で10年、20年と働いたら、こうなっていくのかな」

そう思ったら、ゾッとした。

22時から始まる1日

当時の🦁の1日は、朝じゃなくて、前の日の22時から始まる。

  • 22時〜5時:パン工場で夜勤
  • 6時〜8時半:コンビニで早朝バイト
  • 9時半〜16時ごろ:大学の授業
  • 17時〜21時ごろ:塾のバイト
  • そしてまた、22時からパン工場へ

夜勤して、早朝もやって、全然寝てない。
だから、大学の授業は仮眠の時間。
というか、全部の授業で寝てた。

この生活を約4週間。
2019年12月、29日連続で働いた。

1日15時間働く日もたくさんあった。
いつも眠いし、体調も悪い。
肌はニキビだらけで、髪もベタベタ。

風呂に入る時間があったら、その分寝たかった。

手をつなぐカップルと、黒いジャンパー

ちょうど12月。
バイトに向かう途中、自転車で駅の近くを通ると、手をつないで歩くカップルがいる。

こっちは黒いジャンパーを着て、これから夜勤に向かう。

正直、このときは
「周りの人間、全部いなくなっちゃえばいいのに」
なんて思ってた。

それくらい、心が追い詰められてた。

45万円と、折れた心

結果、この29連勤で約45万円を稼いだ。

それまでの🦁は、「時給1,000円や1,500円で働くのは若い時間の無駄」と思って、バイトをほとんど入れてなかった。
バイトで稼げたのは、多くても月6万円くらい。

それがいきなり45万。正直、けっこううれしかった。

でも、すぐに気づいた。

「来月も同じだけ稼ぐには、またこの日々を30日続けないといけないのか」

そう思った瞬間、心が折れた。

今思えば、ここで心が折れて正解だったと思う。

だって、これは来月だけの話じゃない。

サラリーマンになったら、パン工場で見たあの社員さんたちのように、10年、20年、30年と、これを続けていくことになるかもしれない。

ここで、🦁の方針がはっきり決まった。

”バイト以外の道で稼ぐしかない。”

コンビニ以外のバイトは、全部辞めた。

4. 300サイトの先にいた人

一度挫折したアフィリエイト

「副業」「稼ぎ方」「稼げるビジネス」
そんな言葉で、ひたすら検索した。

アフィリエイト、物販、投資、動画編集。いろいろ出てきた。

実は🦁は、その半年くらい前にブログアフィに挑戦して、すぐに挫折してた。

いろんなジャンルの記事を書く、いわゆる雑記ブログ。
3記事くらい書いたところで、
「全然アクセスが集まらない」
「1記事書くのに、めちゃくちゃ時間がかかる」
「これで本当に何十万も稼げるの?」
と思って、やめてしまった。

だから、こう確信してた。

「もう一度アフィをやるなら、”集客”をどうにかしないと絶対に稼げない」

モデルの仕事でSNSを運用してたから、「SNSなら人を集められるかも」と考えた。
SNSを使った、再現性の高いアフィのやり方はないか。
300〜500サイトは読みあさったと思う。

1つ年上のAさん

そしてたどり着いたのが、Aさんのブログだった。

Aさんは🦁の1つ年上。
もともと工場で働いてたけど、アフィで脱サラして、毎月200〜300万を稼いでる人だった。

しかもAさんも、🦁と同じようにブログアフィで挫折した経験があった。
そこからSNSアフィを始めて、脱サラした人だった。

工場で働いてたこと。ブログで挫折したこと。年齢も1つしか違わない。
パン工場の夜勤で心が折れた🦁にとって、Aさんは自分と重なるところが多くて、そこが一番刺さった。

AさんのSNSを見ると、Aさんに教わった人たちもたくさん結果を出してた。
「このやり方は本物かもしれない」

恐る恐る、公式LINEへ

それでも、公式LINEに登録するのは怖かった。

相手は、自分とはまったく違う世界にいる人。
「もし稼げなかったらどうしよう…」
正直、そう思ってた。

それでも、恐る恐る登録した。
何度かやりとりを重ねて、新宿のオフィスで会うことになった。

5. 残金2万円からのスタート

新宿駅南口と、温かいお茶

新宿駅の南口。
Aさんは、わざわざ迎えに来てくれた。

オフィスまで案内してくれながら、Aさんがこう聞いてきた。

「コンビニの飲み物って、なんで一番奥にあると思いますか?」

🦁はコンビニで1年半もバイトしてたのに、考えたこともなかった。

答えは、一番よく買われる飲み物を奥に置けば、レジまで歩く間に他の商品もついでに買ってもらえるから。

そう話しながら、Aさんは🦁に温かいお茶を手渡してくれた。

1つしか年が違わないのに、”見ている世界が違う”。
そう思った。

50万円の壁

オフィスでは、ブログに書いてあるよりもずっと詳しく、SNSアフィの仕組みを教えてもらった。
「このやり方なら間違いない」と思った。

ただ、Aさんから教わるには、50万円のコンサル費用が必要だった。

口座には、先月のバイト代で32万円。
未成年でクレジットカードもない。どうやっても足りない。

正直、会うまでは無料で教えてもらえると思ってた。
今思えば、無料で教えてもらえるわけないんだけど、当時はただの大学生だったからね。

50万と聞いて、正直ビビった。
「本当に稼げるのか?」と疑う気持ちも出てきてしまった。

Aさんは「無理に決めなくていいよ」と言ってくれて、🦁はそのまま千葉に帰った。

ベッドに倒れ込んだ夜

千葉の家に帰って、ベッドに倒れ込んだ。

Aさんは、🦁が人生で初めて会う社長さん。
しかも、自分よりずっと実績のある人。
めちゃくちゃ緊張してたから、家に着いたときはぐったりしてた。

でも、少し時間が経つと、別の気持ちがどんどん込み上げてきた。

人生を変えるつもりで新宿まで行ったのに、何もできずに帰ってきてしまった。

シンプルに、悔しかった。
自分が情けなかった。

「このまま、俺の人生終わっていいのか」
「ここで終わったら、またあのバイト地獄に戻るのか」

一度は断ってしまったけど、
「Aさんのもとでやれば、何か変わるかもしれない」
という気持ちは、どうしても消えなかった。

振り込みボタンを押した日

だから、自分から交渉した。

「30万を頭金にして、残りの20万は2ヶ月後でもいいですか」

Aさんは受けてくれた。

貯金32万のうち、30万を払う。
”残金2万円”からのスタート。

覚悟は決めたつもりだった。
それでも、いざ振り込み画面のボタンを押そうとすると、めちゃくちゃ緊張して、ビクビクした。

でも、「最悪、またバイトすればなんとかなる」とも思えた。
大学受験で失敗して、バイトでもどん底を味わって、もう🦁には前に進むしかなかった。

覚悟を決めて、振り込みボタンを押した。

6. 管理画面に浮かんだ「1,000円」

1日2時間の作業

こうして、Aさんにコンサルしてもらうことになった。

やる作業は、SNSを伸ばすことと、サイトを育てることの2つだけ。
作業時間は、1日2時間もあれば十分だった。

よく「起業したばかりのころは1日10時間働いた」「1日中パソコンに張りついてた」みたいな話を聞くよね。
でも🦁の場合は、そうじゃなかった。

Aさんが必要なことだけを教えてくれたから、常軌を逸するような努力はしてない。

最初の1ヶ月は、ひたすら記事を作って、SNSをポチポチしてフォロワーを増やした。

記事を作るのは、正直すごく大変だった。
それでも続けられたのは、Aさんという導いてくれる人がいたから。
この存在は、本当に大きかった。

「そろそろ案件を流してみましょうか」

始めて1ヶ月がたったころ。
Aさんにこう言われた。

「そろそろ、案件を流してみましょうか」

今までアフィで1円も稼げたことがなかったから、
「本当にこれで成約するのかな」
と半信半疑だった。

SNSで案件を流してからは、いても立ってもいられなかった。
管理画面を、何度も何度も更新した。

でも、なかなか成果は出ない。

「やっぱり、俺はダメなのかな」
「🦁みたいな普通の大学生には、人生を変えるなんて無理なのかな」

何回もそう思った。

「1,000円」

半分あきらめかけて、ふと更新ボタンを押したとき。

「1,000円」

という文字が浮かび上がった。

うれしいより先に、声が出なかった。

少し時間がたってから、じわじわと
「ようやく、アフィで稼げた」
という実感が込み上げてきた。

すぐにAさんに報告した。
返ってきたのは、ひと言。

「ガリン君が頑張ったおかげですね」

この瞬間、
”この人のもとでアフィを勉強して、本当によかった”
と思った。

その日は3件成約して、合計3,000円。
小さな金額だけど、「もっと頑張れば、もっと稼げる」という手応えをつかんだ日だった。

このあと🦁は何億円も売り上げるようになるけど、あの最初の1,000円の喜びは、今でも忘れてない。

初月30万 → 3ヶ月目60万

そこから、SNSのアカウントを5個から10個に増やして、工夫を重ねた。

🦁の場合、
初月の売上30万 → 2ヶ月目40万 → 3ヶ月目60万
と順調に伸びていった。

残りの20万も、2ヶ月後にちゃんと払えた。

ちなみに、すぐにバイトを辞めたわけじゃない。しばらくはバイトとアフィを両立してた。
いきなり仕事を辞めると精神的に追い込まれるから、まずは副業として始めるのがいいと🦁は思ってる。

一番つらかったのは、作業じゃなかった

振り返ってみると、一番つらかったのは作業じゃなかった。

Aさんに会ってから、お金を払うと決めるまでの「何をすればいいかわからない時間」。
迷ってる時間。

迷路の中にいるみたいで、本当にしんどかった。

やると決めてからは、教えてくれる人がいて、すぐに相談できる環境があった。
あとは、ただひたすらやるだけ。つらさはほとんどなかった。

”ゴールが見えていれば、人はそんなにつらくならない。”

🦁は、そう思ってる。

7. 母親に泣かれた日

1年で、月収500万

ここからは、一気に伸びていった。

収益化して半年で月収100万。7ヶ月目には月収300万。
9ヶ月目からは、SNSに加えて、自分で開発した打ち方で広告集客も使うようになった。

そして、Aさんのコンサルを受け始めて1年がたつころには、毎月500万を稼ぐようになってた。

「1年前まで、ただの大学生だったのに」

少しずつ、人生が変わっていく感覚があった。

この頃から「ガリンさんのやり方を教えてほしい」と言われることも増えて、コンサルやコンテンツ販売で教えるようにもなった。

コロナで、大学がリモートに

ちょうどこの時期、コロナが広がって、大学の授業は全部リモートになってた。

通学の時間がなくなった分、思う存分アフィのリサーチができたし、作業にも時間を使えた。
ここまで一気に伸ばせたのは、この環境も大きかったと思う。

「大学院には行かない」

そして、大学3年の3月。
母親に、こう伝えた。

「大学院には行かない。経営者として生きていく」

母親は、🦁が大学院に進むものだとばかり思ってた。
強く反対されて、しまいには泣かれてしまった。

母親のそんな顔を見るのは、正直つらかった。

でも、人に説得されて事業を辞めるようなら、この先成功なんてできない。

だから、
「認めてくれないなら、もういい」
と伝えて、半ば啖呵を切るように、卒業後は経営一本で行くと決めた。

就活は、一切してない。

初めての月収1,000万

その翌月、大学4年の4月。

アフィで500万、コンテンツ販売で500万。
合わせて、初めて月収1,000万に届いた。

8. 研究室のはぐれ者

なぜか名門の研究室へ

🦁は理系で、大学3年の3月から研究室(いわゆるゼミ)に入った。

その研究室は、これまで全員が大学院に進んできた、学部の中では名門と言われるところ。

実は、「大学院に行かない」と決める前に、入りたい研究室を届け出る必要があった。
そのとき🦁は、なぜか名門の研究室を志望してしまった。

学部の成績もそれなりに良かったから、その希望がすんなり通ってしまった。

あと1ヶ月ずれてたら、きっと結果は違ったと思う。
でも結果的に、このせいで🦁の大学4年は、めちゃくちゃ忙しくなる。

「違う人種が来た」

研究室で、
「大学院には行かずに独立します。今も個人事業でやってます」
と言ったら、教授や先輩たちに、
「自分たちとは違う人種が来た」
という顔をされた。

歓迎されてる表情じゃないのは、すぐにわかった。

研究室では、ずっと肩身の狭い思いをしてた。

青春の1ページ

平日は、朝9時半から夜7時まで研究。土曜日も昼までゼミ。
その合間に、アフィの作業と、コンテンツ販売の電話やZoom。

日曜日だけは大学が完全に休みだったから、朝9時から夜22時まで、7〜8件のアポが入ってる日もあった。

とにかく、めちゃくちゃ忙しかった記憶しかない。
どうやって乗り切ってたのか、正直あまり覚えてない。

でも振り返ると、すごく充実してた。
青春の1ページみたいな感覚。

千葉から東京へ向かう電車

研究が終わると、夕方から東京に行って、Aさんや先輩の経営者たちと会うことが多かった。

そこでは、
「若いのに頑張っててすごいね」
「これから先が楽しみだね」
と言ってもらえた。

研究室では居場所がないのに、東京に行けば認めてくれる人たちがいる。
自分が輝ける場所がある。

千葉から東京に向かう電車の中は、いつもワクワクしてた。
毎回、何か1つ成長して帰ってこられる実感があった。

この頃に知り合った経営者の中には、今でも一緒に飲みに行く人が何人かいる。

二足のわらじを履けた理由

この頃になると、アフィは広告集客だけで売上を作ってた。
1日20分くらいの作業で、毎日10万円くらいの利益が出てた。

※これは、自分で開発した広告の打ち方が、たまたまハマってた時期の話。いわば”バブル”で、2年後には広告費が上がって通用しなくなる(12章で書いてる)。今から同じことができるという話じゃない。

もし🦁が、稼ぐのにたくさんの作業時間がかかるビジネスを選んでたら、大学生と経営者の二足のわらじは難しかったと思う。

アフィを自分なりにハックして、仕組みにできてたから、なんとか乗り切れた。

9. 稼いだお金は、ほぼ全部学びに使った

お金を使う暇がなかった

こんな生活だったから、忙しすぎてお金を使う暇がなかった。
千葉には、使う場所もそんなになかった。

稼いだら、ブランド品や高級車にお金を使う人も多いと思う。
でも🦁は、この時期に稼いだお金のほとんどを、自分のレベルアップに使った。

  • コンサルや教材を買う
  • 事業を買う(大学4年の7月には、ジュエリーのECサイトを買収して運営してた)
  • 「この人すごい」と思った人には、お金を払ってでも会いに行く

21歳の時、1時間100万円を払って、人に会いに行ったこともあった。

会社の印鑑

大学4年の8月に、法人化した。

税理士さんから会社の印鑑を受け取ったとき、
「やっと、社長っていう肩書きができたな」
と思った。

それまでは、周りに「個人で事業をしてます」と言ってた。
これからは「会社を経営してます」と言える。

やることは何も変わらないんだけど、少しうれしかった。

白金のタワマンと、朝7時の電車

大学4年の後半からは、白金に家賃30万円のタワーマンションを借りて、平日は千葉、週末は東京という生活になった。

それまでは、夕方に千葉から東京に出て、夜中まで打ち合わせして、ホテルに泊まって、朝7時の電車で研究室に戻る、なんて生活もしてた。

研究室では、相変わらず居場所がなかった。
でも白金に帰ってタワマンからの景色を見ると、少しほくそ笑んでる自分がいた。

卒業、そして千葉を出る

大学は、ちゃんと卒業した。

下宿の家賃を出してくれてた母親に顔向けできないし、一度休学したら二度と戻らないとわかってたから。
最後の1年は、本当に頑張ってやりきったと思う。

卒業したときは、
「1年、よく頑張った」
「来月からは、全部の時間をビジネスに使える」

その自由がうれしくて、ワクワクしながら千葉を出発した。

10. 2回目のどん底:「俺の仕事は遊ぶことだ」

コンテンツ販売で、いきなり月収1,000万

卒業後も、アフィは続けてた。
でも、全盛期は大学4年のころ。「何か次の手を見つけないと」とも感じてた。

そこで始めたのが、コンテンツ販売。
自分の経験や、アフィのノウハウを発信した。

すると、卒業して2ヶ月目に、いきなり利益1,000万。

それまで学んできたことが形になった、とも言えるし、運が良かった部分も大きい。
ただ当時の🦁は、正直「アフィより簡単じゃん」と拍子抜けしてしまった。

重しがなくなった

そして、ここから🦁は悪い方向に転がっていく。

今までは大学の研究が「重し」になってて、遊ぶ時間も誘惑もなかった。
それが、簡単に稼げて、大学もなくて、時間だけはある、という状況になってしまった。

旅行、ブランド品、夜遊び。

  • 1泊30万、50万、80万のホテル
  • ブランド品に毎月100万
  • 500万円の高級時計
  • 飲み屋で一晩50万

当時、🦁は22歳。
こんなふうにお金を使うと、周りの人たちも
「若いのにガリン君すごいね」
とおだててくる。

🦁は、それに全部乗っかって、アホみたいにお金を使ってた。

周りの友達も時間がある人が多くて、夏はバーベキューだけで7回、花火大会にも5〜6回行った。

「俺の仕事は、遊ぶことだ」

お金を使っていろんな経験をすると、経験値が増えるから、SNSの発信も少し面白くなる。
だから🦁は、本気でこう思ってた。

「俺の仕事は、遊ぶことだ」

これが、本当に良くなかった。

卒業後の1年で、コンテンツ販売の利益は約1億。アフィも少しやってたから、実際はもう少しあった。
その多くを、遊びに使った。
作業は1日30分もしてなかったと思う。

本当に愚かだった。

成仏

ただ、ここで自分の欲望ととことん向き合って、ある意味「成仏」できた。
だからこそ、今はもうそういう遊びにはまったく興味がない。

そういう意味では、🦁にとって必要な時間だったのかもしれない。

でも、このツケは、ちゃんと1年後に回ってきた。

11. 夜中2時の電話

じり貧

勉強しなくなると、発信の質は落ちていく。

新しいことに挑戦しなくなって、アフィの作業もだんだん面倒になってやめてしまった。
気づけば、コンテンツ販売だけで稼ぐ状態になってた。

最初は良かった売上が、少しずつじり貧になっていった。

売れないローンチ

あるローンチが、想定よりまったく売れなかった。
それが1回、2回と続いた。

「次に企画しても、どうせ売れないんじゃないか」

そう思うようになって、企画するモチベーションも、どんどん下がっていった。

アフィもやめてる。
「これで利益が出なくなったら、俺、終わりじゃないか」
「このままいったら、家賃も払えなくなるんじゃないか」

卒業した翌年の5月。本気で焦ってた。

夜中2時

少し、心も病んでしまってた。

追い詰められて、夜中の2時に母親に電話した。

「今まで1人でやってきたけど、もう厳しいかもしれない」

大学3年のとき、「自分の力でやっていく」と啖呵を切ったのに、2年後にこのざま。
自分が惨めだった。

卒業してから遊びまくってた自分を、心の底から呪った。

母親は心配して、
「つらかったら、実家に帰ってきてもいいよ」
と言ってくれた。

その優しさがありがたい一方で、🦁は自分に対して思った。

「お前は、何をやってるんだ」

12. ストック型アフィが生まれた

原点に立ち返る

そこで🦁は、原点に立ち返ることにした。

何もない大学生だった🦁を、ここまで連れてきてくれたのは何だったか。
”アフィリエイト”だった。

作業はやめてたけど、今どの媒体が熱いのか、どのASPと組むべきか、という情報は幸いまだ持ってた。

次の日から、1人でパソコンの前に座って、アフィを再開した。

自分で開発した広告の打ち方があったから、初月の売上150万。2ヶ月目、3ヶ月目は500万。
なんとか「復活ののろし」を上げられた、と思った。

削られていく利益

でも、始めたころから2年以上がたってて、広告費がどんどん上がってた。
売上は出てるのに、利益が少しずつ削られていく。

また、不安な日々が舞い戻ってきた。
「やっぱり、俺はもう終わりなのかな」と思った。

SNSや広告のアフィには、どうしても弱点がある。

  • SNS:ライバルが多い。アカウントが凍結されることもある
  • 広告:広告費がかかる。ライバルが増えると広告単価が上がって、利益が残らない

アフィは、新しいお客さんを集められなくなったら、売上が止まる。

集客の部分を、根本から変える

だから🦁は、”集客の部分”を根本から変えることにした。

この時ひらめいたが、今の「ストック型アフィリエイト」。

ストック型アフィリで行くと決めた当日に、先行投資として200万円投じた。
ドキドキしながら決済したけど、「これでいける」という確信があった。

最初は1日12時間、多い日は15時間、自分でコツコツ作業した。
🦁の場合、ストック型アフィの初月の売上は約400万。

初めて人を雇う

1人で月400万出せたなら、人がいればもっといける。

こうして、初めて人を雇うことにした。
SNSで募集して、5人くらいが手を挙げてくれた。

スタッフを入れた月は月商500万、翌月600万、3ヶ月目に月商1,000万。
その後は、月商1,300〜1,500万の状態が4ヶ月続いた。

一度はもうダメかと思ったけど、なんとか復活できた。

ただ、”あくまで一時的に復活しただけ”。
同じ失敗は絶対にしないと決めて、稼いだお金は次の投資に回し続けた。

13. 3回目のどん底:2024年1月2日

一瞬で消えた取引先

年が明けて、2日目のことだった。

それまで月商1,000万以上を出してた、メインのASPの案件が、いきなりなくなった。
理由は、広告主の突然の予算終了。

月商1,000万、利益800万くらいの取引先が、一瞬で消えた。
目の前が真っ暗になった。

同じやり方をしてた周りの会社もたくさんあったけど、みんな焦ってた。
そのASPにほぼ頼り切ってた会社は、まったく稼げなくなって、廃業したところもたくさんある。

次の一手

でも🦁は、2回目のどん底で1つだけ学んでた。

”調子がいいときに、次の一手を用意しておく。”

同じストック型でも、少し違うやり方に切り替えた。

毎日50万円以上の売上が出ている

2024年1月も、月商600万くらいは維持できた。
2月1,200万、3月1,200万、4月1,700万。
そして5月、月商2,000万を達成した。

痛感したこと

このとき、痛感したことがある。

”アフィの案件は、広告主の都合で突然なくなることがある。”

これは、どんなやり方でも避けられない。
だからこそ、1つの案件やASPに頼り切らないこと、次の一手を常に持っておくことが大事なんだと感じた。

14. 今の🦁

みんなで大きくなる

周りが廃業していく中で、🦁だけ波に乗れたこともあって、「やり方を教えてほしい」と頼まれることが増えた。

そこで思った。
このやり方をフランチャイズとして広げれば、みんなで大きくなれるんじゃないか。

売上の一部をロイヤリティとしてもらう形で、フランチャイズを始めた。

1社目の代理店は、教えた初月に売上800万。今は売上1,500万くらいの会社になってる。

そして今では、代理店が10社を超えた。

教えた人の実績はYouTubeに公開している。
https://youtube.com/playlist?list=PLWLs4z883PNk&si=YqrdnJyHPn3fodbY

今の🦁の毎日

自社では従業員が育ってくれて、🦁は現場の作業を全て任せて、経営に専念できてる。
自社の売上は、今も毎月1,000万以上ある。

代理店の分も合わせると、毎月3,000万〜4,000万。
最初に思い描いたとおり、みんなで大きくなることができた。

行きたいと思ったときに海外に行けるし、1ヶ月を超える長い旅行もできる。
25歳で、1.4億円のタワーマンションも買った。

一番うれしいこと

でも、一番うれしいのはお金のことじゃない。

好きな人とも、家族とも、ちゃんと時間を過ごせること。

稼ぐことは、生きていくうえでもちろん大事。
でもそれ以上に、”自分の人生の時間を、自分でコントロールできる”。
これが今一番、幸せだと感じてる。

15. なぜ今、発信するのか

🦁が嫌いなこと

ほぼ誰も言わない真実だが、
アフィや副業の世界には、今は稼いでない人が、適当なノウハウを教えてることが本当に多い。

🦁は、それが嫌いだ。

🦁は今も現役で、自社でアフィをやってる。
だから、今の現場で通用してることだけを話していく。

実体験から生まれたやり方

ストック型アフィは、🦁が3回のどん底をくぐり抜ける中でつくってきた、実体験そのもののやり方。
これを伝えていくことは、アフィ業界にとっても意味があると思ってる。

フランチャイズの代理店からも、

「ガリンさんのおかげで稼げるようになった」
「収入が安定した」
「一度は廃業したけど、また復活できた」
「こんなに再現性の高いやり方は初めて」
「毎月の売上の見通しが立つから、精神的な不安がなくなった」

と言ってもらえることが増えた。それが本当にうれしい。

もちろん、結果は人それぞれだし、13章で書いたように、案件がなくなるリスクもある。
それでも、正しいやり方を、正しい環境で続ければ、人生が動き出す可能性は十分にあると🦁は思ってる。

昔の🦁と同じ迷路にいる人へ

🦁も、もとは何者でもない、ただの大学生だった。

受験に失敗して、
時給1,200円で絶望して、
29連勤で体を壊しかけて、
調子に乗って、全部失いかけた。

それでも、ここまで来られた。

だから、これだけは自信を持って言える。

”勉強して知識をつければ、何歳からでも人生は変えられる。”

「何かを変えたい。でも、何をすればいいかわからない」

もし今あなたがそう思ってるなら、まずは🦁の発信をのぞいてみてほしい。
昔の🦁と同じ迷路にいる人の、少しでも力になれたらうれしい。

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